先日、尼崎青年会議所の方々とご一緒する機会がありました。
その時、いただいたのがこれ。
水飴です。懐かしいのです。うれしいのです。
人情と情緒あふれる関西の下町、尼崎。
地元の人たちは、謙遜と誇りを込めて、「アマ」(マ、にアクセント)と呼びます。
「尼からの贈り物」と題された数々の名産品のひとつであるこの水飴は、
あまりの人気に生産が間に合わず、なかなか手に入らない逸品だとか。
早速「ねりねり」してみました。
やりませんでしたか?子供の頃。
透明の水飴を割り箸につけて練っているうちに、
空気が入ってどんどん白くなるのです。
この水飴はうっすらと茶色く、練っても白くはなりません。
でも、やっぱり「ねりねり」はお約束ですから。
夢中になって練っているうちに、
心はどんどん童心に戻って行って、
「打ったるで~」と水飴バットを構えたくなりました。
試合の後だというのに、
真夜中だというのに、
こんなにハイテンション。
たぶん、疲れとんなー。
2011年8月9日火曜日
分けてほしいパワー
野球選手としては、夏休みと言ってもピンときませんが、父親としては大いに関係のある時期です。
なぜなら寛(かん)が毎日家にいるから。普段は僕の起きる頃とっくに学校に行っている彼と、試合に行く前、連日顔を合わせるのです。
うれしいか?うーん。そりゃ、子供はかわいい。でも、小学校2年男子は手ごわいのです。
家中を疲れ知らずに走り回って、悪い言葉を連発して、叱られてもどこ吹く風。
ヨメは寛と二人の毎日にすっかり煮詰まってしまって、本気の喧嘩を繰り広げています。
都合のいい時だけちょっと遊ぶならいいのですが、ずーっと顔を突き合せるには、大変な年齢です。
有り余る体力に、知力と常識が追いつかない7歳児。
小学校3年生からしか入部できない野球チームも多くあるということは、きっと3年生になってようやく、人として少し落ち着くのかもしれません。
僕の大好きな子供映画「モンスターズ・インク」では、子供の叫び声(物語の最後は笑い声)がエネルギーとして利用されます。汗をびっしょりかいて、頭からむんむんと熱気を発している子供のパワーも、何かに使えたらいいのに。
ということで、夏休みの我が家には、人影がいっぱい。
廊下をくすくす笑いながら横切っていく姿。
荷物が全部引っ張り出された押入れの、その奥から聞こえる荒い息遣い。
風もないのに揺れるカーテンの不自然なふくらみ。
寛の所属する野球部の友達が、たくさん遊びに来て、かくれんぼをしているのです。
一人でも暑苦しいのに、小学生男子がたくさんいると、家の温度がむやみに上がります。
お前ら、冬に来い。
かくれんぼブームなので、僕も時々つきあわされます。今日はゴミ箱にて発見。
なぜなら寛(かん)が毎日家にいるから。普段は僕の起きる頃とっくに学校に行っている彼と、試合に行く前、連日顔を合わせるのです。
うれしいか?うーん。そりゃ、子供はかわいい。でも、小学校2年男子は手ごわいのです。
家中を疲れ知らずに走り回って、悪い言葉を連発して、叱られてもどこ吹く風。
ヨメは寛と二人の毎日にすっかり煮詰まってしまって、本気の喧嘩を繰り広げています。
都合のいい時だけちょっと遊ぶならいいのですが、ずーっと顔を突き合せるには、大変な年齢です。
有り余る体力に、知力と常識が追いつかない7歳児。
小学校3年生からしか入部できない野球チームも多くあるということは、きっと3年生になってようやく、人として少し落ち着くのかもしれません。
僕の大好きな子供映画「モンスターズ・インク」では、子供の叫び声(物語の最後は笑い声)がエネルギーとして利用されます。汗をびっしょりかいて、頭からむんむんと熱気を発している子供のパワーも、何かに使えたらいいのに。
ということで、夏休みの我が家には、人影がいっぱい。
廊下をくすくす笑いながら横切っていく姿。
荷物が全部引っ張り出された押入れの、その奥から聞こえる荒い息遣い。
風もないのに揺れるカーテンの不自然なふくらみ。
寛の所属する野球部の友達が、たくさん遊びに来て、かくれんぼをしているのです。
一人でも暑苦しいのに、小学生男子がたくさんいると、家の温度がむやみに上がります。
お前ら、冬に来い。
かくれんぼブームなので、僕も時々つきあわされます。今日はゴミ箱にて発見。
2011年8月1日月曜日
夕飯は自分で作りました
おもしろき こともなき世を おもしろく
言わずと知れた高杉晋作の辞世の句です。
たとえ目の前の現実が面白く、楽しく、ないとしても、
気持ちの持ちようで「面白く」できる、という、
彼の生きる姿勢が伝わってきます。
すみなすものは、心なりけり、とつながるそうですが、
この下の句は、第三者が詠んだとか。
いずれにしても、人は気持ち次第で出来事を
プラスにもマイナスにも変えられるんやなあ、という教訓になります。
たとえなかなか勝てず、苦しい試合が続いていたとしても。
たとえさっぱりヒットが出なくとも。
なんてすっきり悟れるような聖人君子ではないわけで、
煩悩の塊の僕は、片時も離れない野球の、試合の、打席の、
それらの結果を、エンドレスでリピートしております。
当然そんなことしか考えていないから、顔つきは険しくこわばり、笑顔は、ない。
早朝の新幹線で東京から地元に戻ったら、
「すごい顔してる・・・」とヨメに指摘されました。
「明日からのゲームに向けて、リセットしないとね」
「おいしいもの作るから、ゆっくりしてて」とにっこり笑ったヨメは、
この数時間後、外出先のつまみ食いで食中毒になり、
まるっきり機能しなくなりました。
面白いやんか。
言わずと知れた高杉晋作の辞世の句です。
たとえ目の前の現実が面白く、楽しく、ないとしても、
気持ちの持ちようで「面白く」できる、という、
彼の生きる姿勢が伝わってきます。
すみなすものは、心なりけり、とつながるそうですが、
この下の句は、第三者が詠んだとか。
いずれにしても、人は気持ち次第で出来事を
プラスにもマイナスにも変えられるんやなあ、という教訓になります。
たとえなかなか勝てず、苦しい試合が続いていたとしても。
たとえさっぱりヒットが出なくとも。
なんてすっきり悟れるような聖人君子ではないわけで、
煩悩の塊の僕は、片時も離れない野球の、試合の、打席の、
それらの結果を、エンドレスでリピートしております。
当然そんなことしか考えていないから、顔つきは険しくこわばり、笑顔は、ない。
早朝の新幹線で東京から地元に戻ったら、
「すごい顔してる・・・」とヨメに指摘されました。
「明日からのゲームに向けて、リセットしないとね」
「おいしいもの作るから、ゆっくりしてて」とにっこり笑ったヨメは、
この数時間後、外出先のつまみ食いで食中毒になり、
まるっきり機能しなくなりました。
面白いやんか。
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