2012年3月17日土曜日

冬来たりなば

ようやく厳しい寒さも和らいだかに思えましたが、
三寒四温の日々、つい最近はまた雪が降りました。
僕は冬物と春物を交互に脱いだり着たりしながら、
暖かくなるのを待ち焦がれています。

おかげさまで執刀医・リハビリ担当の先生からも「投げてよし」のGOサインが出て、
最初は恐る恐る、そして今はかなり快適に、ボールを投げられるようになりました。
痛くないのです。つらくないのです。こんなに嬉しいことがあるでしょうか。
キャッチボールの相手はもっぱら、息子の寛(かん)や、寛の友達です。
ぴしり、ぴしり、と小気味いい音を立てるグラブ。
今はただ、その音を楽しみながら、感謝の気持ちでリハビリを続けています。

僕がリハビリをしているのは地元の西宮です。
家からかなりの広範囲を走り回っているので、しょっちゅうヨメの携帯に
目撃情報のメールが入るとか。
「さっき、県道ですれ違ったよ」
「1時間前に駅の辺りで見ました」
中には「散歩してたら山道の途中で出た」というのもあって、
俺は怪奇現象か。

地元にべったりいるので、身体の治療も近所で行います。
今朝は友人がマッサージをしてくれたのですが、その治療院には
おばちゃんがあふれていました。

「田口君、いや、なつかしーわー。阪神にいてはった時は、よう甲子園に見に行ったわー」
「いや僕阪神ちゃいますよ」
「やっぱり阪神の選手は靴も黄色と黒なんやねー」
「これ、普通のミズノの運動靴」
 
こんな会話をあちこちで交わしていると、じんわり、あったかーい気持ちになってきます。
「ほら、襟が中に入ってる。なおしたげよ」

おばちゃんというより、もうお母さんやね。
この町には、お母さんがいっぱい。
 
友人一家にいただいた風船の「花かご」。
もう春はすぐそこ、という色合いに励まされます。
 
 
 

2012年2月6日月曜日

やる気にさせる男

ご無沙汰しております。

2月が始まり、リハビリも順調な田口です。
肩の状態は、もう、明日にでも投げ始められそうなほどで、
その「うずうず」と戦うのが、このところの日課です。

ところで、僕は兵庫県にある六甲山脈の麓に住んでいます。
麓、いえ、もしかしたら中腹。このあたりは坂だらけで、
トレーニング場所には事欠きません。
どれくらい山なのかというと、住宅街なのに、ゲートルを巻いて
リュックを背負った登山客が、週末ともなると近所を普通に歩いているくらいです。

高校時代はプロを夢見てこの景色の中を毎日走っていました。
そして今は、復活を信じて走っています。
そんなランニングに携帯電話は必需品。なぜなら山道に分け入ると、
冗談抜きで遭難しかけることがあるので、ヨメにSOSをするためです。
って、もしかしたら電波が通じへんかもということに、今気づいた。

ともあれ、このランニングに仲間が加わりました。
田口寛(かん)、8歳。小学2年生です。
ある日、小僧が言いました。
「パパー、一緒に走りに行ってもいい?」
正直、邪魔されたくないのです。ペースも違うでしょう。途中で「疲れた」とか
「休みたい」とか言うでしょう。車に轢かれそうになるでしょう。
崖から跳ぶでしょう。そういう面倒くさい人とご一緒したくありません。
「アカンアカン。パパ、仕事やねんで。だいたい1時間ずっと山道走られへんやろ?」
「たぶんできる」
「無理やろ。パパでも帰ってきたらヘロヘロやのに」

しかし、どうしてもついてくる、と言い張る息子を見て、父は思いました。
(やっぱりパパってすごいなあ)と言わせるチャンスやと。
そして1時間後。
「ただいまあっ!」さわやかに玄関に走り込んだのは寛で、
「・・・た・・・ただいま・・・」とふらふらしていたのは、僕でした。
「パパ、大丈夫?」
そんなこと言わしたかったんちゃうわい!

寛は1時間、普通に走り続けました。
とっとことっとこ、しゃべりっぱなしで、息も乱さず平然と。
2年前は、僕のペースについてこられなかったのに。
いつの間にやら、しっかり走れるようになっていて、
しかも、僕より余裕があるなんて。
普通に走る前に、登るという戦いがある

自然の中だと、サル度がアップする寛
数ヶ月前、寛とヨメが遠投勝負をしたことがありました。
投てき競技出身で、キャッチボールも普通にこなすヨメは、
(たかが2年生)と思っていたようです。しかし結果は寛の圧勝。
赤ちゃんだった彼は、いつの間にか野球少年になっていました。

そう遠くないうちに、身長も抜かされるんでしょう。
力も、強くなるんでしょう。
ひょいっと抱き上げてしまえた身体に、おんぶしてもらう日が来るかもしれません。
親はいつでも、子供より強く、優位に立っているものだと思っていましたが、
それは、単なる親の見栄と願望でしかないのでしょうか?

息子の成長を喜ばないはずもなく、けれど心のどこかで、
寂しい気持ちがちらちらあるのも本音です。
置いて行かれるような寂しさなのか。単なる闘争本能か。
強力なライバルを得た僕は、打倒・田口寛を目標に
今日も走るのです。
トレーニングの目的が、またあらたにひとつ加わりました。

2012年1月19日木曜日

そのうちこぼれ落ちるかも

皆さんお元気ですか?
おととい、日本に戻りました。
帰りの飛行機の席は中国人大家族の真っ只中。
かわいい赤ちゃんがむずがる度に、順番にあやしながら横に回していたので、
もしかしたら俺にも来るんちゃうかと心の準備をしていたのですが、
回ってきたのは食事済みのトレイだけでした。

肩の状態は、すこぶる順調です。
今は走り込みを中心に、以前当たり前にできていた動きを、
これからも当たり前にできるようにリハビリをしています。
何かがちょっとずつできるようになっていくことが、
嬉しくてたまりません。
赤ん坊が毎日変化するように、僕もじわじわ進化しています。

ところで、昨夜、糸井重里さんの事務所にお邪魔してきました。
あまりの楽しさに、ついつい本音がダダ漏れしてしまう怖い場所です。
その様子は糸井さんの「ほぼ日」にお任せして、
僕は糸井さんのツイッター本から、つぶやきのひとつを
書かせてもらいましょう。


お若い方々よ。
打席に立ったとき、
三振するのも情けないゴロを打ってアウトになるのも、かまわない。
見逃し三振さえも許してしまおう。
いけないのは、ただひとつ
「打席に立っていることがよろこべないこと」だ。
その打席に立ちたくて目を輝かせたのではなかったのか。
                          
                                (「羊どろぼう。」より)


はい。
お若くはありませんが、
再び打席に立つために、いつもより大きめに目を見開いております。

肩にパワーを入れていただく。ついでに糸井さんの感性も入ってこんかなあ。




2012年1月7日土曜日

何を勉強しに行ったんや・・・


3日間の予定で、アリゾナ・ダイヤモンドバックス主催の
少年野球教室が開催され、不肖の息子が参加しました。
日本で地元小学校の野球部に所属する寛にとって、
アメリカの野球少年たちと交流するのは初めてのこと。
僕自身にとっても、海外で少年野球の指導現場に立ち会うのは
新鮮かつ大変勉強になる経験で、バックネット裏からじっくり見学させてもらいました。

子供に野球を教える時に僕がいつも心がけているのは、
「子供には物を考えさせない」ということ。
なるべく何も考えさせず、本能で、リラックスした状態で動かしてあげれば、
その子の持つ一番いい力が出やすい、という思いからです。

「こうしてみたら」「ああしてみたら」と指示した途端、子供は頭の中で
考え込んで、ロボットのようにぎくしゃく動き始め、もともと自分がどう動いていたかを
忘れてしまいます。緊張していると、行進しながら同じ側の手脚が
同時に出てしまうような、あんな感じ。

もとプロのコーチたちが教えるアメリカ野球は遊び心にあふれ、
寛がこの経験から何を得てくれるのかと、とても楽しみになって、
初日は終了しました。

そして2日目の朝。
バットケースに開いていた穴に興味を持った寛は、
何気なく右の人差し指を入れてしまい、しかも抜けなくなり、
それを無理に引き抜いた結果、第二関節のまわり全体が、
深くえぐり取れてしまいました。
出血も腫れもかなりひどかったため、そのまま救急へ。
利き手ではなく、骨にも異常なかったものの、
その日の練習参加は不可能となり、当面のプールすら禁止となってしまいました。

子供は、紐が垂れていれば引っ張り、
ボタンがあれば押してみて、
ハトが群れていれば、追い散らす。
そして、穴が開いていたら、指を入れてみる。

僕が「子供は考えないのが一番」などと言った矢先に、
「何かする前にまず考える」のが、
皮肉なことに、寛が今回の野球キャンプで得た、
一番の教訓となってしまいました。 

グローブはできないけれど、バットは握れる!と右手人差し指をぐるぐる巻きに固定して、
最終日の練習には無理矢理参加。


2012年1月4日水曜日

スパルタなんです

 
 
年末年始、いかがお過ごしですか?
僕は年明けすぐに、氷点下のセントルイスを離れ、
暖かいアリゾナに移動してきました。
十年来お世話になっているトレーニング施設で、リハビリ続行中です。
 
これまでは「どうなってしまうんやろう」という不安との戦いだった肩の状態も、
このところ「なんだかいい感じやなー」に変わって来ました。
すると人間欲が出るもので、
「いつから投げられるんやろう」
「そろそろ違うことをしてみようか」と、
焦りとはまた違う、先走る気持がわいてくるのです。
 
これもまた、リハビリのもうひとつの戦い。
じっくり、ゆっくり、丁寧に行かなければ、
これまでの我慢が無になってしまいます。
 
夜明けとともに起き出して、暗いうちから動いているので、
トレーナーさんとのリハビリは、だいたい午前中で終了します。
だから午後はプールを利用して、寛と遊びながら、筋肉をゆったり動かすトレーニング。
 
カナヅチの僕は、学校の水泳の時間が苦痛でした。
でも、ただゆらゆらのんびり入っていればいいというのであれば、水の中は嫌いじゃありません。
しかし、体力と時間の余り余った8歳児にとって、このプールは遊びではなく、
本気なのです。
 
「パパっ!あっちまで競争!」
「パパっ!もっと脚動かして!」
「勘弁してくれえっ!」
 
ちらっと30分くらい入るつもりが、3時間ぶっ通しの動きっぱなしってどないやねん?
このままでは、投げられるようになる前に、泳げるようになってしまう・・・。
 

疲労の色濃い僕。まだまだこれからの寛。

 
 
 
 

2011年12月30日金曜日

なんでもない冬の1日

 
 
半袖になれそうなほど暖かかったり、かといえば零下に震えたり。
このところ不安定な気候のセントルイスです。
気温が急上昇して、せっかく降った雪はあっという間に解けてしまい、
しかし翌朝の激しい寒さで、水溜りは大きな天然のスケートリンクになりました。
そこに車で乗り上げたヨメが、ハンドルを取られてくるくる回ってしまった時、
(やるやろなー)という予想に絶対背かない彼女に、目頭が熱くなった次第です。
 
スケートリンクといえば、先日はご招待をいただき、
NHL、セントルイス・ブルースの公式戦を見に行ってきました。
寛は、目の前で繰り広げられる激しい攻防と、
大好きなコットンキャンディーにご満悦です。
ピンクと青の2種類が、顔の4倍くらいある巨大な袋に入った綿菓子は、
食べたら必ず、口の中が青か赤か、ミックス色に染まります。
 
恐ろしいほどの着色ぶりを再確認したのは、翌日のこと。
「パパー!パパー!」
切羽詰ったような寛の声に呼ばれてトイレに駆けつけると、
そこには鮮やかな緑色のブツが鎮座していました。
 
ところで、僕のリハビリは大変順調です。
 
 
 
試合中に突然の紹介が。
スタンディングオベーションをいただき、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

2011年12月24日土曜日

クリスマスイブは特別な日

 
 
日本の皆さんお元気ですか?
ようやく悪天候から抜け出したセントルイスでは、
久しぶりに太陽が顔を覗かせました。
気温は氷点下でも、時差ボケ解消には陽を浴びるのが一番。
そして、刺激的な出来事があるのも効果的です。
 
数日前のこと。
何年かぶりにアルバート(プホルス・来季からエンゼルス)と会いました。
相変わらず地に足のついた大きな子供。
彼や彼の家族の変わらない笑顔がとても嬉しくて、
どうでもいいおしゃべりがとても懐かしくて、それだけでも大いなる刺激。
さらには、
卓球勝負に燃え、
ガレージの超高級車の「エンジン音を聞かせて」とねだり、
雪かき用のバギーに二人乗りして「わーい、走って!」
アルバートを振り回すうちの息子・寛(かん)にひやひやしたおかげで、
僕の時差ぼけは強制終了です。
 
おい、お前の「わあわあ」に相手してしてくれているのは、
野球界の至宝やぞ。俺やって、見栄と人目さえなければ、
サインちょうだいと思わず言ってしまいそうな、
野球人の憧れなんやぞ。
 
と、言ってみてもなあ。
寛にとって、セントルイスは人生の大半を過ごした場所であり、
アルバートは、昔よく遊んでくれたでかいおっちゃん、に他ならないのです。
 
今日は12月24日、クリスマスイブ。
寛が、その「故郷」セントルイスで8歳になりました。
 
彼が生まれてからこれまでの間は、変化の連続で、
移動ばかりしていたから、学校や住居もころころ変わり、
友達が出来てもすぐにお別れしなければならなかった。
幼い子供には、どれだけ心と身体の負担になっていたことでしょう。
しかし、「子供が中心に回る家もある。でも、うちはパパに私たちが合わせる」と
ヨメに言い続けられてきたせいか、
「こういうもんや」と、いつの間にか、図太くたくましくなってくれました。
 
パパは現在無職や。来年もきっと波乱含みやぞ。
今の勢いで、しっかり腹くくってついて来いよ。
我が家の変化は、まだまだ終われへんでー!
 
 
友人たちが用意してくれたバースデーケーキならぬ
バースデークッキー。