2011年9月5日月曜日

修学旅行の写真のような

4月。二軍スタートとなった僕は、新人たちに囲まれておりました。
プロ入りの緊張以上に、興奮と喜びで堂々としている若い選手たちは、
びびりまくっていた新人の頃の僕とはまるで違います。

どれくらいのびのびしているかというと、たとえば合宿所の風呂。
入り口のスリッパは脱ぎっぱなしでバラバラで、
それをひとつひとつ揃えるのは僕の役目です。
「ちゃんとせんかい!」と言うのは簡単ですが、叱られ慣れていない
いまどきの子供たちにとっては、鬱陶しいだけでしょう。

だから、背中を見てもらいたい。身体を丸くして、後輩たちのスリッパを
黙々と揃える僕の姿を見てほしい。そこから、
「おっさん、マメやなー」と思うのか。
「あ、ホンマはおれらがやらなアカンのやなー」と悟るのか。
それは、彼ら一人一人が持っている「資質」の差として現れます。

僕は若い選手に無理やり何かを教えたいとは、かけらも思いません。
1年目でも、20年目でも、お互いプロ。
現役である以上、チームメイト兼ライバルなのですから。
もちろん、尋ねられれば、いくらでも教えます。
しかし、押し売り教師をするほどのお人よしでもありません。

それでも。
勝つために、何かを伝えなければならないことがあります。
チーム内での細やかなルールや、プロとしての動き。
本人のためではなく、チームに迷惑がかからないように、と
正してやるのが先輩の役目です。

同時に、「オモロいな」と興味が沸いてくる選手がいます。
ちょっと、つついてみたくなる、そんな一人が、ミッツこと、三ッ俣選手です。
19歳。僕より23歳下ですから、息子と言っても過言ではない彼は、
出会った当初、「おーい」と呼びかけたら、「ふあーい?」と、
おにぎりをかじったまま振り向いたのでした。
先輩に呼ばれて、口に物を入れたまま振り向く。
ありなんですか?今風の言い方で言えば、「自分の中ではセーフ」なのでしょうか。
僕よりもむしろ、僕のまわりにいた比較的年長の選手たちを、
(こらっ!お前っ!なんちゅー態度やねん!)と
おろおろさせてしまったミッツ。しかし、野球における彼の必死さに、
僕は好感を持ちました。共に練習し、試合をしていく中で、
彼の中にある「伸びしろ」を伸ばす手伝いをしたい、と思ったのです。

だからある日、普段自分からは絶対にしない「アドバイス」をしました。
今後彼がプロとして成長するために、という願いを込めた提言。
しかしたぶん、彼にとっては「説教」でしかなかったでしょう。
僕の目をじっと見て話を聞いている最中に、
ぽろり、と大きな涙がこぼれ落ちました。

あれから数ヶ月経った今、僕は再び二軍で、夏の終わりを迎えています。
そして、ちょっと見ない間にびっくりするぐらい変化するのは、
赤ちゃんだけじゃないことを思い知らされました。
高校生のミッツが、プロの顔になっていたのです。

ドラフトされたら即プロ、とは言えません。プロには、なっていくもの。
若い選手の成長の早さとは、口をぽかんと開いてしまうほどの勢いです。
ベテランは現状維持に努めることが精一杯で、精神的にはともかく、
肉体的、技術的な成長に、目を見張るような変化は見られません。
でも、若い選手は違う。これが若さなのかと感動させられます。
42歳の僕が同じように変化しようとしたら、
身体がついていかずに、一瞬で怪我をしてしまうでしょう。

この驚きは、実に愉快です。
見ていて、痛快なものです。
あの日、「(思うように動けない)自分が悔しいです」と涙をぬぐったミッツは、
僕の言葉を意地悪や説教ではなく、好意として受け入れてくれました。

そして、ミッツの隣で微笑んでいる駿太。彼に関しては、現在まじまじ研究中です。
何しろ4月に彼は一軍だったので、僕とは入れ違い、今回初めて
マトモにゲームを見せてもらっています。またこのブログで彼の活躍を
お伝えする日も近いことでしょう。

野球には、誰かの成長に目を見張るという楽しみもあったんですね。
それとも、自分以外に目が向くようになったのは、僕自身の成長と捕らえても
いいのでしょうか。


山口県の由宇に移動してきました。バスから素振り用のバットを一本取り出して、
宿にチェックインする駿太とミッツ。
こんなにあどけない笑顔も、グラウンドではすっかりプロの表情です。