2012年10月1日月曜日

はい、いちファンです

 
 
久しぶりに、ひーさんと一緒に夕飯。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
僕らは、同期でプロに入りました。

リーグは違っても、同い年同士で、誕生日も一日違いの同級生。
厳しく華やかな舞台で、たくさんの名場面を作り上げてきた彼と、
引退した僕。立場が変わった今は、取材される側と、する側。解説される側と、する側です。
会えばいつもと変わらない。けれど、球場では、もはや遠い人です。

先日、初めてその距離感で仕事をした時、
僕はバッターボックスに立った彼の姿に気持ちが高ぶって、
高ぶりすぎて、ついに解説者として、まともにコメントすることができず終わりました。

 「きっと複雑な気持ちでしょうねえ」
それが、僕が言ったすべて。

本当は、もっともっともっと、放送時間なんか無視してしゃべり倒したいくらい、
桧山選手に関して言いたいことが山ほどあります。
彼の選手としての、人間としての大きさと凄さを、
放送席から引きずり出されるまで伝え倒したいものです。
でも、感情がうわーっと高ぶって、
胸がいっぱいになって、
大歓声の中でプレーする彼がうらやましくて、
そして、誇らしくて、
結果、言えたのは、それだけ。

同い年の僕が引退し、目標であり支えだった金本選手が引退を決め、
なんだか自動的に、自分もその流れに乗らなくちゃいけないような気持ちになる、
させられる、そんな年齢です。
ちらりとでも彼の頭の中に、そんな考えが浮かんでるんちゃうか、そう思っただけで、
もう、いても立ってもいられません。

アカンアカン、その流れに乗ったらアカン。
やめるのなんて、いつでもできんねん。
はい、今日やめます!って、言えば終わりやねん。
だから、まだまだ言わんといてな。
今や僕にとって、ひーさんは最後の砦です。希望の星です。
自分が果たせなかったことや、やり残した夢を、彼に託しているのです。

知識も経験もある、まだまだやれるベテランが、若返り、の名の下に
来し方行く末を考えさせられるのは、もしかしたら他の仕事だって同じかもしれません。
けれど、それだけの時間をかけて培ってきたものは、組織にとっての財産のはずです。

ニコニコと僕の言い分に耳を傾ける彼には、
勝負をしている男としての気力と気迫がみなぎっています。
それで、ああ、まだバンバン行けるで、と安心させてくれるのが嬉しい。
等身大で、地に足のついた男。
僕の大好きな野球選手です。

昔、同じマンションに住んでいた頃は、ヨメさん同士がテレビを二台並べて、
それぞれの試合経過を見ながら4人分の食事を作って待っていたこともありました。
これからは僕がテレビの前にかじりついて、彼の姿を追い続けます。

ご飯は作りません。


2012年9月23日日曜日

修行、始まりました

 
初体験の連続。

昨日は、野球中継の解説者として初めて、グラウンドに行きました。
野球の聖地、甲子園。その土の上を革靴で踏みしめるという違和感と緊張。
「やっぱりこの土の上は、選手だけのものなんや」ということを、
再認識した出来事でした。

選手としては、何度も立たせてもらった場所なのに、
立場が変わると、目線も変わります。
球団、選手、関係者、マスコミ。挨拶しなければいけない人が山ほどいるというのに、
とてもじゃないけど、回りきれませんでした。
きょろきょろしていたから、たぶん僕の目は、普段の1.5倍くらい見開かれていたと思います。
それでもなおかつ、伺い切れなかった方、
「俺に挨拶はないんかい」というお叱り、甘んじて受けます。スミマセン。

そんな時、頼りになるのはやっぱり同級生です。
同級生で、大学時代からの友人・阪神の片岡コーチが、ベンチ前で佇む僕を見つけて、
「おいでおいで」としてくれなかったら、僕はどこに行っていいやら、
さっぱりわからなかったことでしょう。何しろ、立ち位置がわからない。
どこを歩いていいやら、いけないやら。
ユニフォームを着ているだけで許された「自由通行」の贅沢を、
つくづく感じた次第です。

野球選手だったから、野球を全部知っているつもりになるのは危険、と、
我が家の鬼コーチは言います。上から目線で自分の知識を切り売りするのではなく、
マメに現場に足を運んで情報を集め、どんなに年下の選手にでも頭を下げて教えを乞える
解説者でいてほしいと。

僕はその言葉を肝に銘じてやっていくつもりです。
じゃないとたぶんご飯を作ってもらえません。

それにしても緊張しました。
人生初インタビューの相手が、金本さんですよ。
まわりは気軽に「同期やろ」と言いますが、年も上やし、
何より、あれだけの選手です。僕からしたら、憧れ見上げる存在の人。
その人間性の大きさそのままに、僕の拙いインタビューを、
誠実に、そしてユーモアたっぷりに受けてくださいました。
サインもらったろかと思いましたよ。よう言わんかったけど。

インタビューって、難しい。
番組を製作する側が聞き出したいこと、
視聴者が聞きたいこと、知りたいこと、
そして、選手本人が言いたいこと、言いたくないこと。
たくさんの思惑が絡み合う中、どんなふうにリラックスした
雰囲気を作って、適切な言葉で相手の本音を引き出すか。

引退したら、いろんなことから開放されてちょっとは気楽になるなんて、
一体誰が言ったんでしょう。
気楽どころか勉強することが多すぎて、僕は毎日家の机に資料を広げ、
うーうー、うなっています。

昨日の放送では「押しも押されもせぬ」を「押しも押されぬ」と
言ってしまったわたくし。資料の「間違えやすい例」を読めば読むほど
間違えているほうを覚えてしまいそう。









2012年9月12日水曜日

ここから

 
秋の気配ですね。皆様お元気でお過ごしでしょうか?
我が家では、夏の間に家族になったカブトムシ三匹のうち、
メスの「かぶちゃん」が天に還り、そのあと、たくさんの幼虫たちが、
土の中で待機しているのが見つかりました。
サークル・オブ・ライフ。でも、動かなくなったカブトムシに、
自分を重ねてしまったわけではありません。


僕はおととい、引退記者会見を行いました。
もういちどユニフォームを着てグラウンドに立ちたいと願っていましたが、
力が及びませんでした。
復活を信じ、応援してくださった皆さんには本当に申し訳ない限りです。
この九ヶ月の間、皆さんにいただいた励ましは、選手としての僕ではなく、
新しい世界に踏み出す僕の、大いなる力とさせていただきます。
選手としての20年と、浪人の1年弱。皆さんのおかげでこんなにも長く、
野球を続けさせていただくことができました。


本当に、ありがとうございました。

 
ホンマは、めっちゃ悔しい。そして寂しい。
かっこいい引き際なんて、誰が決めるんでしょうね。
かっこ悪くてもええやん。泣き喚いて、ぼろぼろになって、鼻水垂らしても、
しがみついたらええやん。


しかし、しがみつくところが、なかった。ザンネン!


それにしても、引退。この二文字は、考えていた以上に重く険しいものです。
現実味なく口にしていた時にはなかった、切迫感。緊迫感。動悸、息切れ、みたいな感覚。
会見に向かう五分前に、「泣くぞ」とまわりからからかわれたときも、
「俺、もうすっきりしてるもん。泣かへんって!」と言ってたくせに、
冒頭でいきなりアレですよ。

隣では、ホリプロの堀社長がつられて号泣しそうになっていらしたのですが、
もし堀社長がこらえ切れなかったら、翌日の新聞の見出しは、
スポーツ面の「田口引退」ではなく、芸能面で「堀社長号泣」だったことでしょう。
そんな思い出に残る会見を用意してくださったホリプロにも、感謝の気持ちでいっぱいです。

 
さあ、これからが大切。
解説をすることが決まった時、ヨメがにっこりと言いました。
「もと野球選手だから、野球のことは何でも知ってる、なんて言って、
取材もせずに解説しないでね」


厳しい、厳しい人生の再スタートです。


2012年7月31日火曜日

2012年7月31日

 
 
取り急ぎの、お知らせです。

本日、2012年7月31日は、残念ながら野球人生の区切りの日となってしまいました。

近日中に、またゆっくりメールしますね。

応援してくださった方。復活を信じて待っていてくださった方。

期待に応えることができず、本当にすみませんでした。

今はこれを書くのが精一杯です。ごめんなさい。

2012年7月8日日曜日

待てば海路の...

 
ついに運命の7月に入りました。
 
7月31日は、トレードデッドライン。
どのチームもそれ以降、今シーズン中は戦力補強をすることができません。
つまり、僕にとっては、現役に戻れるかどうかのラストチャンスです。
先日43歳となり、来年までこの状態を引っ張ることは不可能。
だから、ラストチャンスなのです。
 
その7月に滑り込むように、僕の肩はやっと、「自分の肩」に戻りました。
思えばここ10年近く、違和感を感じながら付き合ってきた肩。
そして最後の数年は、痛くて情けなくて悔しかった身体の一部が、
ようやく自分のものとして、実感できるようになったのです。
治してもらったというよりも、新品に取り替えてもらった感覚。
なんやこれやったらあと10年行けるやーん、と軽口も叩いてしまうほど、
うきうきと気持ちが盛り上がること、この上ありません。
現在わたくし、心も身体も絶好調です。
お見せできないのが、大変残念です。
 
手術からもうすぐ9ヶ月。あと僕にできるのは、
朗報を待つことだけ。
 
このところは、夕方までにリハビリと練習が終われば、
時間の許す限り、最近始めた釣りをしています。
初心者ですから、まずは近所の釣具店に伺って、
何から何まで手取り足取り教えていただきました。
 
竿を後ろに引いて、沖の方向にポーンと針を投げ入れる。あとは、待つ。
経験も知識も乏しい僕にとって、釣りとはそのおおよそが、
「待つ」ことに他なりません。
 
「待つ」とは忍耐です。「待つ」とは期待です。
「待つ」とは喜びです。「俺は待ってるぜ」は石原裕次郎の歌です。
待っている間、海を見つめながら、来し方行く末を考えているとカッコいいのですが、
実際は割とどうでもいいことや、煮付けや唐揚げのことを考えています。
 
待っても待っても、何も起きないのでまた竿を振る。
そして、待つ。
時々見回りにやってくる店員さんに色々情報を聞いて、
再び待つ。
あんまりしょっちゅう行ってじーっとしているものだから、
ある日よく見たら、釣具屋さんのホームページにある
釣り場情報写真に写りこんでいました。
 
以前は練習を終えてから、いったん帰宅し、それから釣りに出かけていたくせに、
最近は「行ってきまーす」の瞬間、すでに片手に釣竿、片手にクーラーボックス。
「・・・どちらへ?」
毎度毎度、ヨメがニヤニヤしながら聞いてきます。
 
どこへ行くかって?練習練習!
「野球」と、「待つ」のと。
 
釣りでもミズノ。
 
 

2012年6月5日火曜日

READY!

 
 
ついに「ヤツ」と対峙したのです。
 
伊勢湾岸道の「湾岸長島」出口付近、
高速沿いにぬーっと立っている憎いヤツ。
それが、東京~兵庫県を車で往復するたびに、
必ず僕を威圧するのです。
「お前はビビリやから、俺には勝たれへんやろ」
まあ、三重県なので、
「お前は臆病なもんで、ワシには勝てんわさ」
みたいな、挑発的なその姿。
 
そうです。僕はビビリです。
おまけに高所恐怖症です。
ふちのない、せり上がったステージで踊ったり、
高所の空中をワイヤーで吊られながら歌う「嵐」を見て、
今後何があってもうっかり「嵐」に入らないようにしよう、と決意したくらい、
高いところが嫌いです。
 
だのに、なぜ。
人生待ったなしの僕に、もう怖いものなんかないわ!という
やけっぱちな気持ちがそうさせたのでしょうか?
先日、ふと巡ってきた家族サービスのチャンス。
ふと気がついたら僕は、友人家族と一緒に、
ナガシマスパーランドに来ていたのでした。
 
日本全国のジェットコースターマニアの皆様なら当然ご存知の、
スリル満点ライドで有名な、ナガシマスパーランドです。
まずは、世界最大級の木製コースター「ホワイトサイクロン」。
許してくださいと言いたくなる強烈な横Gに耐えるのも、
手術前だったら、きっと難しかったことでしょう。
 
 
そして、日本一の高さ(97メートル)と最大落差(93、5メートル)、
世界一の全長2479メートルという距離を誇る、「スチールドラゴン」。
最高時速153キロの世界で、3分半ほど叫びっ放しというシロモノです。
 
「ホワイトサイクロン」が、コースター好きを満足させる、
質量ともに完成されたフルコースだとしたら、
「スチールドラゴン」は獰猛な脅威。
食事で言ったら野生の骨付き肉の塊のまるかじりです。
僕は生まれて初めて、遊んでいる時に命の危険を感じました。
 
 
スチールドラゴンの上昇中に、地上に向かって手を振る。
恐れるものなど何ひとつない、最後の幸せなひととき。



  










スパーランドの安全点検は親切丁寧で、とてもありがたいのです。
だから、乗り物は安全なのです。
安全なはずです。
安全に違いありません。
しかし、本能は叫びます。アカン、これはアカン、と。
おかげで家族サービスのはずの行楽は、
僕の精神修行の場となってしまいました。
 
さて、気を失いそうなほどの眠さに耐える帰り道。
運転手の命綱は、時々口に放り込むミントの粒だけです。
ヨメがそれをパッケージごとシートの隙間に落としてしまい、
しかも「隙間に手が入らなくて取れない」と言われた瞬間の
やるせなさ、切なさ、怒り。
感情を爆発させることなく「しゃあないよ」と言えた僕は、大人でした。
精神修行の効果が出ていました。

心の開幕準備、OKです。

2012年4月26日木曜日

人に決められたくはない

 
 
皆さんいかがお過ごしですか?
僕は最近ようやくバッティングを再開。
今日は、岐阜県・養老にあるミズノのバット工場に行ってきました。
 
プロ野球の屋台骨のみなさん。足を向けて寝られません。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
飛ばない、といわれる統一球に対抗するためか、
最近の日本人選手のバットは、重くなる傾向にあるそうです。
バットの重さで、飛ばない球に負けないようにする、ということでしょう。
 
なのに僕が作ったのは、今までよりも軽くて短いバット。
スイングのスピードでヘッドを効かせて、飛ばない球に対抗します。
図らずも、時代を逆行してしまったからには、
必ず結果を皆様にお知らせするために、打席に立たなくてはなりません。
 
昔はすべて手で削っていたプロのバットも、今ではコンピューターのおかげで
ある程度のところまで、機械削りによって形作れるようになりました。
材料選びで良し悪しの8割は決まる、と言われるバットですが、
最後の仕上げはやっぱり、熟練の人間の手によるカンナがけです。
これが、ちょっとでも間違えたらえらいことに。
カンナどころか、表面を仕上げるサンドペーパーでさえ、
ほんのわずかに「行き過ぎた」だけで、打つほうの感覚は、大きく違ってきます。
 
ミズノの誇るバット職人の名和さん。
ちなみに削られている最中のバットは高速で回転しています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
さらに、同じように出来上がってきたバットでも、
ぱっと持った瞬間に「これや!」と思う一目惚れタイプ。
打っているうちによくなるのでは、という、育成タイプなどがあり、
つくづく、道具は生きている、という気持ちにさせられるのです。
 
あー、早く使いたい。
 
 
ところで、先日から連載していただいた、糸井重里さんの
「ほぼ日」インタビュー(http://www.1101.com/taguchi_2012/index.html)が
終了して、昨日、編集部の方が大量の感想メールを送ってくださいました。
すべて、拝読しました。そしてヨメが泣きました。
ハナミズも垂れていました。
 
嬉しかった。誰かに気にかけてもらえるというのは、なんと嬉しいことなんでしょう。
 
プロ野球シーズンが始まり、ナイトゲームの時間に家でメシ食ってる、という自分。
週末の昼に庭掃除をしている自分。
過去20年、そんな経験がありません。
 
ぱっとつけたテレビが野球中継だったら、ヨメが電光石火でチャンネルを変える。
「あー!試合見るー!」と寛がわざわざ野球に戻す。
それに対して、
「パパは今、野球見たくないかもしれないでしょ!野球できないんだから」
と、ヨメがまたチャンネルを変える。
「やだ!野球見たい!」と8歳児言い返す。
「パパは野球したくてもできないの。きっと見るのもしんどいの。だからやめようよ?」
「ええー?じゃあパパはいつからできるの?できるようになったら野球見てもいい?」
「いつって?パパには言えないけど、できるかどうかもわからないんだよ・・・」
 
大声でひそひそ話をするなー!
 
ああ、そのとおりです。
「新しいバットのご報告」どころか、選手に戻れる保証なんかどこにもなくて、
野球中継を見ると、うらやましかったり切なかったりで、
複雑な思いにとらわれてしまうのは本音。野球の世界、僕にとっては「世間」から
取り残されたような気持ちになっているのが現状です。
だから、たくさんのメッセージ、本当に嬉しかったのです。
僕よりも、ヨメに対するメッセージが多かったのは、悔しいのです。
本当に、ありがとうございました。
 
なになに、「田口さんが私の夫じゃなくてよかった」?
・・・なんでやねん・・・。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
それにしても、「田口は妙齢の女性からの支援がほとんどない」という事実が
「ほぼ日」上で公表されてから、いただくメールに
「妙齢じゃなくてスミマセン」とか
「妙齢ですが男です」
といった注釈が入るようになりました。
 
妙齢。辞書を調べても、「若いこと。特に女性の若い年頃。うら若い」
となっております。「うら」って、何?
なので、どこにも「18歳から24歳」など、かっちりした決まりはないのです。
それが妙齢。で、ふと思い出したことがありました。
 
フロリダキャンプの時、一緒に来ていたうちの母親を、
ヨメがネイルサロンに連れて行ったのです。
海辺のリゾート地で、普段はいている「つっかけ」ではなく
「サンダル」やら「ミュール」やらをはいて、
うちのかーちゃんはちょっぴりアメリカン気分。
そこに、
「お母さん、せっかくだからペディキュアしよう!」
とヨメが提案したのです。
 
ペディキュア。手の爪ではなくて、足の爪に色をつけるアレですね。
そんな経験など生涯一度もないかーちゃんは、ドナドナの子牛のように
なっていたのでした。
 
「おかーさんは、そんなんせえへんやろー!」
僕は「うちのかーちゃん」と「ペディキュア」が結びつかず、却下を要請。
一緒にいた父親も「お母さんはなあ・・・」と苦笑い。
きっとアニキがそこにいても、鼻で笑ったに違いありません。
 
父、兄、そして僕。
3人の野球人のユニフォームを洗い続けた母の半生に、
おしゃれ、とか、エステ、とかいう言葉はありませんでした。
「お母さん」は、いつもすっぴんで元気でうまいメシ作ってくれて、
弁当作ってくれて、ユニフォームを真っ白にしてくれる人であり、
「女性」と思ったことがなかったのです。
 
ところがヨメが一言。
「お母さんを、女性、じゃなくて、おかーちゃん、にしちゃってるのは、
田口家の男3人だもん。いってきまーす」
そして帰ってきたかーちゃんの足の爪は、真っ赤っ赤で、
「えんちゃん(ヨメ)が選んでくれたんだよ~!」と、うれしそうに、照れくさそうに、
何度も何度もその足の爪を見て、さらにはアップで写真まで撮ったのです。
 
かーちゃんを、女性以外の生物にしていたのは、僕ら男の勝手な思い込みでした。
普段質素だから、おしゃれに興味もないはずや、と決めてかかっていたのです。
女性は何歳でも女性なんやなーと、その時思いました。
そして、「女性」でいるときの表情はとても生き生きしていて、
自分の思い込みを反省したのです。
人は誰でも年を取るけれど、実際年齢と、自分の気持ち年齢が
違っていたっていいし、それが人生の張りになるのであれば、ええことやん。
ついでに、歳で判断せずに、動けるんやったら、雇ってくれんかなあ。
 
妙齢を語ってて、なんでばーさんの爪なのか。
つまり妙齢は、まわりが決めることじゃない、と言いたいのです。
自分が妙齢だと思えば、はい、あなたは妙齢。
性別問わずに、幅広い妙齢のみなさんの、お便りお待ちしております。
 
ちなみにうちのヨメは今年47歳。「年をとるのが楽しい」そうで、
「妙齢なんて青い。腐りかけ、っておいしいのよ~」と言います。
 
 
いーや、あんたの場合はもう腐ってるから。