2012年9月12日水曜日

ここから

 
秋の気配ですね。皆様お元気でお過ごしでしょうか?
我が家では、夏の間に家族になったカブトムシ三匹のうち、
メスの「かぶちゃん」が天に還り、そのあと、たくさんの幼虫たちが、
土の中で待機しているのが見つかりました。
サークル・オブ・ライフ。でも、動かなくなったカブトムシに、
自分を重ねてしまったわけではありません。


僕はおととい、引退記者会見を行いました。
もういちどユニフォームを着てグラウンドに立ちたいと願っていましたが、
力が及びませんでした。
復活を信じ、応援してくださった皆さんには本当に申し訳ない限りです。
この九ヶ月の間、皆さんにいただいた励ましは、選手としての僕ではなく、
新しい世界に踏み出す僕の、大いなる力とさせていただきます。
選手としての20年と、浪人の1年弱。皆さんのおかげでこんなにも長く、
野球を続けさせていただくことができました。


本当に、ありがとうございました。

 
ホンマは、めっちゃ悔しい。そして寂しい。
かっこいい引き際なんて、誰が決めるんでしょうね。
かっこ悪くてもええやん。泣き喚いて、ぼろぼろになって、鼻水垂らしても、
しがみついたらええやん。


しかし、しがみつくところが、なかった。ザンネン!


それにしても、引退。この二文字は、考えていた以上に重く険しいものです。
現実味なく口にしていた時にはなかった、切迫感。緊迫感。動悸、息切れ、みたいな感覚。
会見に向かう五分前に、「泣くぞ」とまわりからからかわれたときも、
「俺、もうすっきりしてるもん。泣かへんって!」と言ってたくせに、
冒頭でいきなりアレですよ。

隣では、ホリプロの堀社長がつられて号泣しそうになっていらしたのですが、
もし堀社長がこらえ切れなかったら、翌日の新聞の見出しは、
スポーツ面の「田口引退」ではなく、芸能面で「堀社長号泣」だったことでしょう。
そんな思い出に残る会見を用意してくださったホリプロにも、感謝の気持ちでいっぱいです。

 
さあ、これからが大切。
解説をすることが決まった時、ヨメがにっこりと言いました。
「もと野球選手だから、野球のことは何でも知ってる、なんて言って、
取材もせずに解説しないでね」


厳しい、厳しい人生の再スタートです。


2012年7月31日火曜日

2012年7月31日

 
 
取り急ぎの、お知らせです。

本日、2012年7月31日は、残念ながら野球人生の区切りの日となってしまいました。

近日中に、またゆっくりメールしますね。

応援してくださった方。復活を信じて待っていてくださった方。

期待に応えることができず、本当にすみませんでした。

今はこれを書くのが精一杯です。ごめんなさい。

2012年7月8日日曜日

待てば海路の...

 
ついに運命の7月に入りました。
 
7月31日は、トレードデッドライン。
どのチームもそれ以降、今シーズン中は戦力補強をすることができません。
つまり、僕にとっては、現役に戻れるかどうかのラストチャンスです。
先日43歳となり、来年までこの状態を引っ張ることは不可能。
だから、ラストチャンスなのです。
 
その7月に滑り込むように、僕の肩はやっと、「自分の肩」に戻りました。
思えばここ10年近く、違和感を感じながら付き合ってきた肩。
そして最後の数年は、痛くて情けなくて悔しかった身体の一部が、
ようやく自分のものとして、実感できるようになったのです。
治してもらったというよりも、新品に取り替えてもらった感覚。
なんやこれやったらあと10年行けるやーん、と軽口も叩いてしまうほど、
うきうきと気持ちが盛り上がること、この上ありません。
現在わたくし、心も身体も絶好調です。
お見せできないのが、大変残念です。
 
手術からもうすぐ9ヶ月。あと僕にできるのは、
朗報を待つことだけ。
 
このところは、夕方までにリハビリと練習が終われば、
時間の許す限り、最近始めた釣りをしています。
初心者ですから、まずは近所の釣具店に伺って、
何から何まで手取り足取り教えていただきました。
 
竿を後ろに引いて、沖の方向にポーンと針を投げ入れる。あとは、待つ。
経験も知識も乏しい僕にとって、釣りとはそのおおよそが、
「待つ」ことに他なりません。
 
「待つ」とは忍耐です。「待つ」とは期待です。
「待つ」とは喜びです。「俺は待ってるぜ」は石原裕次郎の歌です。
待っている間、海を見つめながら、来し方行く末を考えているとカッコいいのですが、
実際は割とどうでもいいことや、煮付けや唐揚げのことを考えています。
 
待っても待っても、何も起きないのでまた竿を振る。
そして、待つ。
時々見回りにやってくる店員さんに色々情報を聞いて、
再び待つ。
あんまりしょっちゅう行ってじーっとしているものだから、
ある日よく見たら、釣具屋さんのホームページにある
釣り場情報写真に写りこんでいました。
 
以前は練習を終えてから、いったん帰宅し、それから釣りに出かけていたくせに、
最近は「行ってきまーす」の瞬間、すでに片手に釣竿、片手にクーラーボックス。
「・・・どちらへ?」
毎度毎度、ヨメがニヤニヤしながら聞いてきます。
 
どこへ行くかって?練習練習!
「野球」と、「待つ」のと。
 
釣りでもミズノ。
 
 

2012年6月5日火曜日

READY!

 
 
ついに「ヤツ」と対峙したのです。
 
伊勢湾岸道の「湾岸長島」出口付近、
高速沿いにぬーっと立っている憎いヤツ。
それが、東京~兵庫県を車で往復するたびに、
必ず僕を威圧するのです。
「お前はビビリやから、俺には勝たれへんやろ」
まあ、三重県なので、
「お前は臆病なもんで、ワシには勝てんわさ」
みたいな、挑発的なその姿。
 
そうです。僕はビビリです。
おまけに高所恐怖症です。
ふちのない、せり上がったステージで踊ったり、
高所の空中をワイヤーで吊られながら歌う「嵐」を見て、
今後何があってもうっかり「嵐」に入らないようにしよう、と決意したくらい、
高いところが嫌いです。
 
だのに、なぜ。
人生待ったなしの僕に、もう怖いものなんかないわ!という
やけっぱちな気持ちがそうさせたのでしょうか?
先日、ふと巡ってきた家族サービスのチャンス。
ふと気がついたら僕は、友人家族と一緒に、
ナガシマスパーランドに来ていたのでした。
 
日本全国のジェットコースターマニアの皆様なら当然ご存知の、
スリル満点ライドで有名な、ナガシマスパーランドです。
まずは、世界最大級の木製コースター「ホワイトサイクロン」。
許してくださいと言いたくなる強烈な横Gに耐えるのも、
手術前だったら、きっと難しかったことでしょう。
 
 
そして、日本一の高さ(97メートル)と最大落差(93、5メートル)、
世界一の全長2479メートルという距離を誇る、「スチールドラゴン」。
最高時速153キロの世界で、3分半ほど叫びっ放しというシロモノです。
 
「ホワイトサイクロン」が、コースター好きを満足させる、
質量ともに完成されたフルコースだとしたら、
「スチールドラゴン」は獰猛な脅威。
食事で言ったら野生の骨付き肉の塊のまるかじりです。
僕は生まれて初めて、遊んでいる時に命の危険を感じました。
 
 
スチールドラゴンの上昇中に、地上に向かって手を振る。
恐れるものなど何ひとつない、最後の幸せなひととき。



  










スパーランドの安全点検は親切丁寧で、とてもありがたいのです。
だから、乗り物は安全なのです。
安全なはずです。
安全に違いありません。
しかし、本能は叫びます。アカン、これはアカン、と。
おかげで家族サービスのはずの行楽は、
僕の精神修行の場となってしまいました。
 
さて、気を失いそうなほどの眠さに耐える帰り道。
運転手の命綱は、時々口に放り込むミントの粒だけです。
ヨメがそれをパッケージごとシートの隙間に落としてしまい、
しかも「隙間に手が入らなくて取れない」と言われた瞬間の
やるせなさ、切なさ、怒り。
感情を爆発させることなく「しゃあないよ」と言えた僕は、大人でした。
精神修行の効果が出ていました。

心の開幕準備、OKです。

2012年4月26日木曜日

人に決められたくはない

 
 
皆さんいかがお過ごしですか?
僕は最近ようやくバッティングを再開。
今日は、岐阜県・養老にあるミズノのバット工場に行ってきました。
 
プロ野球の屋台骨のみなさん。足を向けて寝られません。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
飛ばない、といわれる統一球に対抗するためか、
最近の日本人選手のバットは、重くなる傾向にあるそうです。
バットの重さで、飛ばない球に負けないようにする、ということでしょう。
 
なのに僕が作ったのは、今までよりも軽くて短いバット。
スイングのスピードでヘッドを効かせて、飛ばない球に対抗します。
図らずも、時代を逆行してしまったからには、
必ず結果を皆様にお知らせするために、打席に立たなくてはなりません。
 
昔はすべて手で削っていたプロのバットも、今ではコンピューターのおかげで
ある程度のところまで、機械削りによって形作れるようになりました。
材料選びで良し悪しの8割は決まる、と言われるバットですが、
最後の仕上げはやっぱり、熟練の人間の手によるカンナがけです。
これが、ちょっとでも間違えたらえらいことに。
カンナどころか、表面を仕上げるサンドペーパーでさえ、
ほんのわずかに「行き過ぎた」だけで、打つほうの感覚は、大きく違ってきます。
 
ミズノの誇るバット職人の名和さん。
ちなみに削られている最中のバットは高速で回転しています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
さらに、同じように出来上がってきたバットでも、
ぱっと持った瞬間に「これや!」と思う一目惚れタイプ。
打っているうちによくなるのでは、という、育成タイプなどがあり、
つくづく、道具は生きている、という気持ちにさせられるのです。
 
あー、早く使いたい。
 
 
ところで、先日から連載していただいた、糸井重里さんの
「ほぼ日」インタビュー(http://www.1101.com/taguchi_2012/index.html)が
終了して、昨日、編集部の方が大量の感想メールを送ってくださいました。
すべて、拝読しました。そしてヨメが泣きました。
ハナミズも垂れていました。
 
嬉しかった。誰かに気にかけてもらえるというのは、なんと嬉しいことなんでしょう。
 
プロ野球シーズンが始まり、ナイトゲームの時間に家でメシ食ってる、という自分。
週末の昼に庭掃除をしている自分。
過去20年、そんな経験がありません。
 
ぱっとつけたテレビが野球中継だったら、ヨメが電光石火でチャンネルを変える。
「あー!試合見るー!」と寛がわざわざ野球に戻す。
それに対して、
「パパは今、野球見たくないかもしれないでしょ!野球できないんだから」
と、ヨメがまたチャンネルを変える。
「やだ!野球見たい!」と8歳児言い返す。
「パパは野球したくてもできないの。きっと見るのもしんどいの。だからやめようよ?」
「ええー?じゃあパパはいつからできるの?できるようになったら野球見てもいい?」
「いつって?パパには言えないけど、できるかどうかもわからないんだよ・・・」
 
大声でひそひそ話をするなー!
 
ああ、そのとおりです。
「新しいバットのご報告」どころか、選手に戻れる保証なんかどこにもなくて、
野球中継を見ると、うらやましかったり切なかったりで、
複雑な思いにとらわれてしまうのは本音。野球の世界、僕にとっては「世間」から
取り残されたような気持ちになっているのが現状です。
だから、たくさんのメッセージ、本当に嬉しかったのです。
僕よりも、ヨメに対するメッセージが多かったのは、悔しいのです。
本当に、ありがとうございました。
 
なになに、「田口さんが私の夫じゃなくてよかった」?
・・・なんでやねん・・・。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
それにしても、「田口は妙齢の女性からの支援がほとんどない」という事実が
「ほぼ日」上で公表されてから、いただくメールに
「妙齢じゃなくてスミマセン」とか
「妙齢ですが男です」
といった注釈が入るようになりました。
 
妙齢。辞書を調べても、「若いこと。特に女性の若い年頃。うら若い」
となっております。「うら」って、何?
なので、どこにも「18歳から24歳」など、かっちりした決まりはないのです。
それが妙齢。で、ふと思い出したことがありました。
 
フロリダキャンプの時、一緒に来ていたうちの母親を、
ヨメがネイルサロンに連れて行ったのです。
海辺のリゾート地で、普段はいている「つっかけ」ではなく
「サンダル」やら「ミュール」やらをはいて、
うちのかーちゃんはちょっぴりアメリカン気分。
そこに、
「お母さん、せっかくだからペディキュアしよう!」
とヨメが提案したのです。
 
ペディキュア。手の爪ではなくて、足の爪に色をつけるアレですね。
そんな経験など生涯一度もないかーちゃんは、ドナドナの子牛のように
なっていたのでした。
 
「おかーさんは、そんなんせえへんやろー!」
僕は「うちのかーちゃん」と「ペディキュア」が結びつかず、却下を要請。
一緒にいた父親も「お母さんはなあ・・・」と苦笑い。
きっとアニキがそこにいても、鼻で笑ったに違いありません。
 
父、兄、そして僕。
3人の野球人のユニフォームを洗い続けた母の半生に、
おしゃれ、とか、エステ、とかいう言葉はありませんでした。
「お母さん」は、いつもすっぴんで元気でうまいメシ作ってくれて、
弁当作ってくれて、ユニフォームを真っ白にしてくれる人であり、
「女性」と思ったことがなかったのです。
 
ところがヨメが一言。
「お母さんを、女性、じゃなくて、おかーちゃん、にしちゃってるのは、
田口家の男3人だもん。いってきまーす」
そして帰ってきたかーちゃんの足の爪は、真っ赤っ赤で、
「えんちゃん(ヨメ)が選んでくれたんだよ~!」と、うれしそうに、照れくさそうに、
何度も何度もその足の爪を見て、さらにはアップで写真まで撮ったのです。
 
かーちゃんを、女性以外の生物にしていたのは、僕ら男の勝手な思い込みでした。
普段質素だから、おしゃれに興味もないはずや、と決めてかかっていたのです。
女性は何歳でも女性なんやなーと、その時思いました。
そして、「女性」でいるときの表情はとても生き生きしていて、
自分の思い込みを反省したのです。
人は誰でも年を取るけれど、実際年齢と、自分の気持ち年齢が
違っていたっていいし、それが人生の張りになるのであれば、ええことやん。
ついでに、歳で判断せずに、動けるんやったら、雇ってくれんかなあ。
 
妙齢を語ってて、なんでばーさんの爪なのか。
つまり妙齢は、まわりが決めることじゃない、と言いたいのです。
自分が妙齢だと思えば、はい、あなたは妙齢。
性別問わずに、幅広い妙齢のみなさんの、お便りお待ちしております。
 
ちなみにうちのヨメは今年47歳。「年をとるのが楽しい」そうで、
「妙齢なんて青い。腐りかけ、っておいしいのよ~」と言います。
 
 
いーや、あんたの場合はもう腐ってるから。

2012年4月11日水曜日

勝ち負けで言うところの、負け

 
 
ようやく厳しい寒さも緩み、家の近所、夙川(しゅくがわ)という桜の名所は、
今、まさに目を見張るような美しさです。
僕の肩の調子も、気温とともにどんどん上がってきました。
もう、「焦らず、飛ばさず、押さえ気味に」なんていう我慢はしていません。
行け行けどんどん、です。

この行く道の先に何が待っているかはわかりませんが、
とりあえず、今日も、明日も、ひたすらトレーニングをするのです。
使わなければ筋力も、感覚も、すべてが錆びてしまいますから。

だから、頭も、ということで、ここしばらく、英語のレッスンに通っています。
もともと、「錆びてしまうほど」のレベルでもないのですが、
やっぱり使わない限り、どんどん忘れてしまう。それがつらい。
ということで、渡米時に大変お世話になった、同時通訳者の橋本光穂先生の門下に
再び弟子入りしました。
 
教わる相手によって、何かを好きにも嫌いにもなる。それってすごい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
やらされる勉強は大嫌いだし、今でも試験の夢を見て苦しむほどの僕ですが、
橋本先生の授業はあまりに楽しく興味深く、時間はあっという間に経ってしまいます。

日本の英語教育、とりわけ受験などでは、たくさんの「記憶すること」が求められます。
なぜ、その前置詞が使われるのか、という理由は、多くの場合さて置いて、
丸ごと覚えこんでいくほうにウエイトを置いている気がします。
きっとそこまで、噛み砕いている時間もないし、覚えなければいけないことが
あまりに多すぎるのかもしれません。

そんな環境で僕も育ちました。
だから大人になった今頃になって、たったひとつの前置詞の持つ意味合いを、
1時間以上かけて噛み砕き、図解して、絵で描いて、
解説してくださる先生の授業のおかげで、
「あーーー!だからなんや!」と納得することの連続です。
もし先生にもっと早く出会っていれば、
僕は今頃英語の達人だったかもしれません。
いえ、少なくとも、英語が大好きでたまらなかったことでしょう。

春爛漫。神戸の坂の町にある先生のお宅へ、ヨメと一緒に通います。
早朝に家を出て、途中子供を学校で落とし、それから先生の町へ。
あわただしくて朝食を食べ損ねた日は、
道中のコンビニで間に合わせることもあります。
僕はもともと朝、あまり食欲が沸かないほうで、
小さなマフィンとコーヒー、それで十分。

しかしヨメは、飢餓状態で目が覚めてしまうほど、朝、がっつり食べたい女。
一日のうち、朝が一番おなかがすいているのだと言います。
前夜どんな時間まで飲んでいようとも、
朝ごはんを欠かす、という選択はない。絶対ない。
だから、朝食を外で済ませる時、「どこで何を食べるか」を決めるのは、
いつでも戦いです。

小さなペストリーにコーヒー。ヨメにとってそれは「食事」ではなく
「おやつ」です。僕が「パンにせえへん?」言うと、悲しそうに首を振ります。
だから昨日も、選択権をゲットした彼女が行きたがったのは「すき家」。
「朝から牛丼?俺食われへんわー」
「大丈夫。ミニサイズもあるから」
どうやら一人でふらっと入ることもあるらしく、妙にメニューに精通しているヨメ。
僕も牛丼は大好きですが、朝8時台にはきついでー。

とはいえ、見たらやっぱりおいしそうなので、
「牛丼、の・・・普通サイズを、味噌汁つけてお願いします」
「ハイ、牛丼ですね」

さあ、ヨメの番です。
「豚のしょうが焼き定食をお願いします」
「ハイ、豚のしょうが焼きですね」
 
(重いやろ?)

「それと・・・」

(それと?)

「牛丼ひとつお願いします」

(はい?)

聞き間違いであってほしいとどれだけ願ったことでしょう。
僕の前に、ちんまり牛丼と味噌汁。
そして、ヨメの前には、大きなしょうが焼き定食と、牛丼。
定食ですから、ご飯もついているわけです。そしてその隣に牛丼。
ホンマかいなー。

(僕がどれだけ身体を鍛えても、この人の生命力にだけは、絶対敵わない)

すべてが新しく、希望にあふれる春の朝に、
何、このごっつい敗北感。
 
 
 
P.S.
以前もここで書きましたが、糸井重里さんとの対談が、
明日から「ほぼ日刊イトイ新聞」にて連載されます。
詳しくはほぼ日のHPにてご覧ください。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2012年3月17日土曜日

冬来たりなば

ようやく厳しい寒さも和らいだかに思えましたが、
三寒四温の日々、つい最近はまた雪が降りました。
僕は冬物と春物を交互に脱いだり着たりしながら、
暖かくなるのを待ち焦がれています。

おかげさまで執刀医・リハビリ担当の先生からも「投げてよし」のGOサインが出て、
最初は恐る恐る、そして今はかなり快適に、ボールを投げられるようになりました。
痛くないのです。つらくないのです。こんなに嬉しいことがあるでしょうか。
キャッチボールの相手はもっぱら、息子の寛(かん)や、寛の友達です。
ぴしり、ぴしり、と小気味いい音を立てるグラブ。
今はただ、その音を楽しみながら、感謝の気持ちでリハビリを続けています。

僕がリハビリをしているのは地元の西宮です。
家からかなりの広範囲を走り回っているので、しょっちゅうヨメの携帯に
目撃情報のメールが入るとか。
「さっき、県道ですれ違ったよ」
「1時間前に駅の辺りで見ました」
中には「散歩してたら山道の途中で出た」というのもあって、
俺は怪奇現象か。

地元にべったりいるので、身体の治療も近所で行います。
今朝は友人がマッサージをしてくれたのですが、その治療院には
おばちゃんがあふれていました。

「田口君、いや、なつかしーわー。阪神にいてはった時は、よう甲子園に見に行ったわー」
「いや僕阪神ちゃいますよ」
「やっぱり阪神の選手は靴も黄色と黒なんやねー」
「これ、普通のミズノの運動靴」
 
こんな会話をあちこちで交わしていると、じんわり、あったかーい気持ちになってきます。
「ほら、襟が中に入ってる。なおしたげよ」

おばちゃんというより、もうお母さんやね。
この町には、お母さんがいっぱい。
 
友人一家にいただいた風船の「花かご」。
もう春はすぐそこ、という色合いに励まされます。